マリア園は南山手の住宅地に連担した丘陵地の中腹に建つ煉瓦造三階建の延床面積861坪という比較的大きな建物である。現在は幼きイエズス修道会の清心修道会(女子修道会)と養護施設マリア園(医療・社会福祉施設)として使用されている。
その歴史をたどると、初めは明治13年(1880)にフランスから来日したイエズス会の修道士達により日本に於けるイエズス会修道院本部として創設されたもので、布教や貧者の救済などを目的として作られた。当初は木造であったが明治31年(1898)にフランス人でマリア会修道士センネツの設計により現在の煉瓦造建物に建て替えられた。戦後昭和25年に同修道会本部が兵庫県に移転してからは女子修道院となり、幼稚園、養護学校が併設されて修道女による運営が行われていた(★1)。
設計者であるセンネツの設計した建物にはこのほか海星学園本館(長崎市東山手町)があり同じく煉瓦造で明治31年の竣工である(★2)。
マリア園の建物は三階建であるが二階までが煉瓦造、三階は小屋裏をうまく利用した木造で、銅板張りのマンサード屋根と白い鎧戸と、そして年代を経た煉瓦壁面が静寂な林間にとけ込み美しい風景を醸し出している。
1685坪という広い敷地の一角から林間の道を進むと上部にミカエルの像をいただく本館玄関に達するが、玄関右手に本館から前方に張り出した形で礼拝堂が配置されている。本館玄関とは別に礼拝堂に直接入れる出入口を設けていることからみると、この礼拝堂は必ずしも館内施設としてのみの利用を意図したものでもないようである。
許しを乞うて館内通路から礼拝堂に入ると、先ずはその荘厳な雰囲気に圧倒される。この礼拝堂は列柱を持たない単廊式で規模は48坪と小さく、祭壇は中央祭壇のみで脇祭壇はなく、中央祭壇の後方両側及び左右壁面には上部半円アーチ形縦長窓が並んでいる。側壁付柱の柱頭からは会堂一杯に漆喰仕上げ4分割リブ・ヴォールト天井が架けられている。リブは木製でやや太めであるが、それを支持する柱頭の装飾・紋様と色彩の美しさは印象的である。後方一間分の上部を楽廊としているが、明るい内陣部、そして何よりもゆきとどいた手入れの良さとが相まって、堂内は聖なる空間としての研ぎ澄まされた清潔さを保っている。
チャペルと言う言葉のイメージがぴったりする、ここはまさに修道女達の祈りの場である。
(★1)太田静六「長崎の天主堂と九州・山口の西洋館」(理工図書、昭和57年7月)
(★2)「長崎の洋館」(長崎の洋館研究保存会、1989年2月) |
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