交通

佐世保駅前から西肥バス平戸方面行き特急・急行バスで約30分佐々中央通り下車、浅子教会前行きに乗り換え17分終点下車。
浅子教会前行きバスは1日3本なので要注意

住所

建物

〒857-0431 佐世保市浅子町232-4 木造平屋 219平方メートル

竣工

設計・施工

昭和5年(1930) 設計 不詳 施工者 不詳

見学

公開 (0956)68-2583

 

 

 

 

 浅子教会堂は浅子岳の麓、九十九島を望む静かな入り江に面した所にある小さな教会である。明治17年(1884)頃、黒島の信徒が土地を求めてこの地に移住したのが始まりと言われる。当初は平戸の紐差から司牧の巡回を得ていたが、明治25年に仮の教会をつくり、昭和2年(1927)、現在地に浅子教会が設立された(★1)。

 浅子の信者のふるさと黒島は平戸藩に属していたが、幕末期の平戸藩が浦上、五島などに比べて迫害があまり厳しくなかったこともあり、他地区の迫害に耐えかねて、文化・文政の頃には外海地方から、或いは同じ平戸藩領である生月島等からの移住が始まり、更に五島から流れ着く者等もあって、島の人口は急増していった。土地が狭く生計を立てていくのが困難となったキリシタン達は、島を転出する移住を始めることとなる。転出は明治13年の平戸島一上神崎移住を皮切りに、ラゲ神父或いはド・ロ神父の努力による田平或いは大村への移住と続くことになる(★2)が、このような集団移住が行われていた頃に、ここ浅子への移住も行われたものであろう。

 法人台帳によれば浅子教会堂は昭和5年(1930)3月7日竣工している。建物は単層屋根構成、切妻屋根、桟瓦葺で、外壁は下見板張り、正面の中央部に三角屋根を突出させた外観が印象的である。しかし、この正面玄関部は昭和50年に行われた教会堂建物の悉皆調査(★3)時とは幾分異なっているところから、その後の改変によるものであろう。側面の窓も前記調査時にすでにアルミサッシとなっており、外観等は創建時のものから相当改変されている可能性がある。

 内部平面は三廊式、内陣部は主廊正面に矩形平面の主祭壇を置き、その後方は左右香部屋となっている。主祭壇背面上部には左右一対の上部円形アーチ形縦長窓があり、内陣部に彩りをそえる。天井は主廊部、側廊部とも縦板張り平天井で、主廊上部壁面も板張りである。会堂内部主廊幅(N)は18尺、側廊幅(I)は9尺、列柱間隔は12尺(★4)で、N/I=2.0となる。

 内部列柱は四角柱で、列柱主廊側に半円形の付柱があり、付柱は渦巻模様を組み合わせた小型の柱頭の上へ伸びて、そのまま天井ヘリブの様に立ち上げ、曲線を描いて平天井を支える形に仕上げている。この三角形の持ち送りの中には四つ葉のクローバーをかたどる彫刻がはめ込まれており、新鮮な印象を受ける。

 海に面した自然条件の厳しい中で、建物外壁、開口部等は相当に改変が行われているようであるが、内部構成は創建時のものを残しているものと思われる。教会堂建物の時代区分から言っても既に停滞期の中にあり、リブ・ヴォールト天井から折上天井へ移行する簡易化の流れの中にあるが、持ち送りの中のクローバー彫刻、或いは付柱のえがく曲線等に意を用いて、単調となるのを避けながら見せ場を作ろうとした、意欲を感じさせる建物である。

 

(★1)カトリック長崎大司教区司牧企画室「長崎の教会」(聖母の騎士社、1989年3月)
(★2)黒島カトリック教会「信仰告白125年(1865〜1990)黒島教会の歩み」(聖母の騎士社、平成2年4月)
(★3)長崎県教育委員会「長矯県のカトリック教会」(長崎県文化財調査報告書第29集、昭和52年3月)
(★4)上掲書添付図より推定。

 

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